wasedax

2009年はさっそく卒業設計をバリバリやっております。
今日は合間をぬって早稲田大学の文学部2年生相手に講義をしてきました。

ひょんなことから知り合った白水社の和久田さんにお誘いいただき
劇作家で客員教授宮沢章夫さんの「00年代都市空間論演習」という授業でテーマが“ショッピングセンター”で僕の論文のテーマがショッピングセンターだったので‘専門家’として呼んで頂く。
大学内ではただの四年でも外部に出ると専門家として扱われることにある種の社会性を感じる。

まず第一印象は、教室の雰囲気が、東工大よりカラフル爆。
みんなピンクの手帳とか使っていて、オーラというか風景の鮮度が高い。
そんな若い人たち
「郊外、虚構、戦略」という筋立てでショッピングセンターの考察をしているから、テンションがあがる。
彼ら彼女らは越谷レイクタウンのフィールドワークをしていて、僕の資料対象でもあったので、懐かしい風景が広がる。
発表は、ハードコアな分析があるわけではないけれど、動画を流しながらキーワードを与えて説明していてそれがなかなかおもしろかった。

paradoxical constructionという言葉で越谷レイクタウンを説明していて、客の誘導や自然光の取り方などのアーキテクチャの設計はうまくいっていて(リサーチでなくお客として行けば、ずっと居れるし、何度も買い物に行ってしまうだろうと本人達も述べていたし、僕もそうだと思う)いるが、そこにエコ戦略を重ねようといろいろな試みがなされているが、エコの部分がいまいち機能していない(虚構の隠蔽にはっと気付いて冷めてしまう)と指摘していた。僕が大江戸温泉がすきなのは、虚構を隠蔽するどころか完全なる演劇に持ち込んでいるので(全員が浴衣の着用を義務付けられる)、逆に心地が良いし、それ以上でもそれ以下でもない空間があるから。

宮沢さんは独特な語り口が非常にかっこよくてメモを取る手をとめて思わず聞き込んでしまう。「実際の都市にはメインの通りがあってその裏にサブの路地があって、そこで面白いことが起きているがショッピングセンターにはメインの通りしかない」と言っていた。ショッピングセンターが都市になれるかという問いに対する示唆を含んだ一つの答えだと思う。

僕が教壇で話した(相当新鮮)のは、大きい店舗と小さい店舗に関するレイアウトの基本的な話(二核モール型)と、社会学の文脈で出てくるショッピングセンターには立ち上がってしまう圧倒的な‘大きさ’の議論が抜け落ちているという話とそれがいろいろな不具合を引き起こしているということ、またそれにちなんだ論文をプロジェクションしながらショッピングセンターのネイチャーを解説。ヤンキーに絡まれた話をしたらウケて安心する爆。時間は短かったが宮沢さんもたくさんツッコミをくれて集中的にしゃべる。
寝ている学生が一人もいなかったことがおどろきで、
「私の地元におやまゆうえんハーヴェストウォークがあるんですけどどうでしたか?」とか「国道16号をヤンキーベルトと呼んでいたんですよー」とか「なんで建築なのにサブカルの研究してるんですかー?」と話かけられ、興味を持ってくれる人がいて嬉しむ。

その後は宮沢さんの別のサブカル講義を聞き、めちゃくちゃテンションあがる。
56年に生まれた宮沢さんの講義の中で、56年と76年に起きたいくつかの事象からある種の‘切断’があると述べられていて、凄く納得する。自分が86年生まれでg86の由来にも接続できる笑。

その後は研究室にて3時間ほど学生達や先生達とを交え話す。
みんな2年生で、しゃべることしゃべること。
以前女子高生にインタビューしたことがあったが、なんとなく似ていて
キーワードに反応するようにどんどん話が展開していって息継ぎを忘れるほどしゃべっていました笑。
キャピキャピしていて、東浩紀さんを「東様」と呼び、「思考」という言葉を使う彼ら彼女らの次世代のパワーを存分にもらいました笑