一ヶ月ぶりの更新
近頃あったこと。
3月28日〜4月10日
オーストラリアへリサーチへ旅立つ
ブリズベンのとあるレジデンシャルオフィスに居場所を頂き、“クイーンズランダー”という高床でベランダが間口いっぱいについた住宅やら、都市建築についてのリサーチ。
熱帯気候の下で、大きな風通しの良いベランダが街並みを作ることや、都市の中でも角地に大きなベランダが取りつき骨格を作っているのを見て、身体〜都市へは絶対に連続しているんだなと確信しなおす。建築の力を感じる。リサーチの結果をクイーンズランド大学の学生相手にホールで英語でプレゼン。つたなくとも英語の方が、“空間”とか曖昧な表現に頼れなくなってストレートに言わざるを得ないので僕は開放感があります笑。数式を順序立てて書くようなものである。
とある打ち合わせで、クイーンズランド大学のメンバーも混ざり、打ち合わせしていると
その中に見たことある外人発見。
向こうもこちらに気付く。
「are you Taku?」「are you Ashley?」
と同時に互いに声をかける。
昨年エジンバラのワークショップで一緒だったメンバーが今、クイーンズランド大学で偶然にTAをしていた。
こんなことってあるんだなぁとお互いびびり、Ashleyは「I can't believe!」と連呼していた。
ウィークエンドは島へ行き、ほぼ外部なのではというコテージで、大自然の中で寝泊り。日焼けもし、虫にもたくさんさされ、TMばりの夏を体感。
最後3日間はシドニーへ行き、ウッツォン先生のオペラハウスの中を見学し、これほどまで都市と響き合う現代建築は珍しい。ロブスターをくらふ。
4月1日
world creaters award2009コンペで優秀賞受賞。
コンテンツにあふれる商業空間と、それをナヴィゲートする情報空間をいかに重ね合わせ、
かつ“ユーモア”を消さないという条件で、ひたすら議論とスタディした結果だったので嬉しい笑。都市の場所性を蝕むケータイショップのQRコードをデフォーメーションさせて追い込んでしまえば、逆に蝕むQRコードのイメージを反転させて架空の場所として定着できる。
ブランドのロゴなんか凌駕するほど情報は見えないがそこにあるので、それをユーモラスに形に落とし込めば、もはやファサードがインフラになりえる。
ナカサ&パートナーズさんたちが指摘してくれたように“ケータイでファサードのQRを撮影する”という振る舞いの誘発の連続がたんなるファサードを少し都市現象へ拡張してくれる。
4月11日、塚本研同窓会。OBOGが集まると圧巻。1次会ではホールで盛り上がり、二次会は研究室へありえない人数がなだれ込む。重鎮達の議論に聞き入り、途中、話しを振られ、見切り発射で話してるうちにアトリエワンの近作の、振る舞いと幾何学の重ね合わせは、宇宙物理学の実験器具(ニュートリノの振る舞い/スーパーカミオカンデ幾何学とか陽子の振る舞い/LHC幾何学)と通じるところがある、だとか、宇宙論の中の空間自体に世代があって淘汰されたり、空間自体が生命のように振る舞うことまで拡張できるのではないか、とかいう大袈裟な仮説に気付く、爆。
途中、藤村さんが先生の方法論はと問うと先生は建築すべてが私の方法論だという。
僕には先生がジャズのプレイヤーのようで、藤村さんはコンピューターミュージックの作曲家のように映る。
先生は有名なナンバーをセッション相手を変えてモダンに演奏し、パフォーマンスやメロディでコードを乗り越える。
藤村さんはコードをまず入力し、それらの可能性をひたすら走らせ、発見的にドライブさせていく。
“パフォーマンス”と“方法論”が響き合えば都市全体が楽しくなりそうだ。
4月24日、東工大建築学科2年の岸健太氏の授業の場を借りて2年生相手にg86レクチャーをする。話していて活動を始めたころの“怒りドリブン”と現在の創作のモチベーションは変わってきていると感じる。大人になってしまうのか爆。
僕らのあとに岸先生のレクチャーが続き,「建築はスタティックだが、そこにはもっと動的な可能性があるんじゃないか」という岸さんの問いかけから始まり「建築をつくる」ではなく「建築をする」ことを考えようという。動的な可能性。
対話していくことで、様々な条件を発見し糧にしていく方法は、施主から依頼を受け「建築をつくる」のとは違って自分から「建築をする」方法。2年生相手の最初の授業らしく学生を煽るが、僕も久しぶりに聞いてテンションあがる。
そして鎌谷の新居に泊まる。久しぶりに建築についての議論をし、ヒートアップしすぎて、ダラブッカを叩きまくると大家さんに怒られる爆。三角形平面というありえないほど快適な部屋で新しいプロジェクトについて議論。
4月25日、坂本一成先生のTTF内覧会。街へダイナミックに開ける大屋根空間はもちろんだけど、PC床板が相当カッコイイ。テナントがそれぞれ勝手にしつらえを作るけど、人の手が届かない高さの上部空間にはPC床板のいかつい凹凸が深い陰翳を持った建築の空間をずっと続いてく。どんなテナントが入っても上部空間は最初に用意できる。
今日はあいにくの雨だったが晴れの日のTTFはもっとかっこいいはず。
晴れの日に行って改めて書きたい。
あとは藝大のカセミに遭遇。テンションが相変わらず激。
内覧会はいろんな人が集まるからおもろい。
そろそろ寝ないとまずい。

思考の祝祭

研究室の仕事の合間をぬって、去年参加したブリテッシュカウンシルのcityscaperというワークショップの今年のメンバーに対する説明会に百枝優さんや笹原晃平さんと参加してきますた。
そこには日新工業の授賞式で出会ったSFCの木名瀬遼さんや、中村正人研の國盛麻衣佳さんらがいて今年もおもろそうなメンバー。
最近、論文や卒業設計で大学に篭りっぱなしだったので人の繋がりを久しぶりに実感し、何かを取り戻す。

一旦解散したあとは、百枝さんと笹原さんと飲みにいき、いつもどおりg86や僕のスタンスと百枝さんのスタンスが真逆なので、瞬間的に加熱。笹原さんにはいつも闘魂を注入される。

これからすべき思考を考えながら帰りの電車で先輩能作氏から拝借したハイデガーに関する本を勉強していると「思考の祝祭」というキーワードが出てきてグっときた。
今読んでる北川東子さんの著書の一節をちょっと引用。

ハイデガーが考えた問題、「芸術の本質とは何か」。これを考えるためには、真の芸術作品をよく見ることが必要となる。けれども、ある作品が本当に真の芸術作品であるかどうかを決めるためには、「芸術の本質は何か」をわかっていなければいけない、という具合。「芸術の本質」という問題をめぐって、堂々巡りをするだけ。

こうした循環論法は、一般に不毛な議論とされるが、ハイデガーは、反対に、「強み」だと言う。
私たちが原理的で本質的な事柄を考えるとき、思考は必ずぐるぐる回って最初の出発点に戻ってしまう構造をしていると言う。
だいじなのは、この円環を抜け出ることではない。この無駄と思える思考の運動のなかにあえて跳び込んでいき、「この道にとどまりつづけること」である。それこそ、「思考の祝祭」だと言う。

古代ギリシャのデュオニソスの祭りを哲学のテーマにしたのはニーチェだったが、「思考の祝祭」とは、デュオニソスの祭りのように、狂ったように踊り続けるうちに、次第に陶酔が起こり、その陶酔のなかで新たな知恵が開けるような状態をいう。
「存在とは何か」この本質的な事柄に関わる以上、私たちも思考の円環のなかに跳び込む覚悟が必要になる。』

昔、石上純也さんの話し方から、話し始めと終わりが繋がっているような印象を受け興味深いと書いたことを思い出した。
日常の議論においてもぐるぐる堂々巡りをするけど気付くとテンション上がってずっと別の次元に到達するような感覚を何気なく感じることがあるが、そんな曖昧でよくわからない状態に「思考の祝祭」なんて粋なネーミング、笑。

話がいきなり変わるが(笑)、よく「空間がある」という言い方をする人がいるが、空間がある(存在する)かどうかという僕らを悩ませる言い方について。
いわゆるぼくらが興奮するような建築的な空間が無くても情報空間がある(電波が届く、Suicaの範囲、LANが飛んでるetc)ということ(例えば商業、駅)もあって、悲しくも世間的にはそっちの方にリアリティに感じる人のほうが多いんじゃないかと思う。逆に建築的な空間があるけれど情報空間がないということもある。東京に新しい建築を作るならその重ね合わせを利用できたら面白いと考えている。
僕は、その時代のメディアの構造に次世代の社会の構造は多少なり“似る”と思うので、空間がある(存在する)ということについていろんな重ね合わせを作ることで境界を越えたり、今までに無い開放性を作り出したいとか考えている。

今週末からオーストラリアのクイーンズランドにリサーチで行くのだが、クイーンズランダーという特有の建築の形式がある。間口いっぱいに大きなベランダが付いていてとてつもない開放性がある。これは住宅に限らず、ホテルや商業、オフィスにも見られ、熱帯気候特有のローカルな建築言語が建築のタイポロジーを超えて、繁茂する例としては興味深く、ベランダという社会との特殊なインターフェースについて、境界や開放性について観察していきたい。

卒業設計‘google planning city’

ご無沙汰してます。
卒業設計をupします。
東工大において優秀賞を頂いたものです。

google planning city
bignessは超えられるか。
郊外の再開発に対するオルタナティブの提案。
1人の設計者が設計しても都市的で複雑に、
100個のテナントが入っても空間性を失わない強度を持った空間を設計する。

敷地は二子玉川駅前の再開発地区。
資本の論理に誘導されてしまう既存の再開発の枠組みを組み替えることを試みる。
キーワードは[核店舗][小店舗][サンクンガーデン][大屋根][公開空地]etc

郊外の生活者にとってはヴァーチャルな都市空間として機能するはずの既存の再開発は実はグリッド状の希薄な商業空間やオフィス空間を作ってしまい街と縁を切ってしまう。
そこで‘集中’‘分散’‘ハイパーリンク’等、関係性を紡いでいくように既存の枠組みを組み替える事でより濃密な再開発の提案をする。
私が用意したのは4つの幾何学と枠組みの関係性。

複雑系や情報空間をヒントに
はじめから建築が幾何学と枠組みに関係性さえ与えておけば、あとはどのようなテナントが来ようが
空間性は保持されるという主張です。


鳥瞰


section perspective


site between bigness and smallness


一つ目の幾何学[樹状モール]、枠組みは[搬入と動線
通常の商業施設では線形の動線で店舗は並列配置で退屈。
都市はブロードウェイにY字路があってオフブロードウェイ、オフオフブロードウェイがあって文化が育つ。
渋谷やパリ、ニューヨークの路地空間を再開発に取り込み二子玉川の地へ根付く木の幹のようなモール。
地下にはスタッフのためのファシリティとバックヤードが広がり迅速なバックアップを可能にする。


backyard system 24時間スムーズな物資の移動を可能にする。


二つ目の幾何学は[放射状プラン],枠組みは[核店舗と小店舗]
通常の商業施設は核店舗(ジャスコシネコン東急ハンズタワレコetc)が端部を押さえ、その間を小店舗(ブランドショップ、スタバ、マックetc)がモールの間口を割るように並列配置。それをアーキテクチャーだと思うのはもう古い。‘集中’が起きる核店舗を中心に、小店舗を‘分散’し間口を共有。郊外型ショッピングセンターにありがちな大規模な‘裏’を無くし、全部を路面店に。壁が傾いているので歩いていくとショッピングのランドスケープが展開していく。


shopping mall 内部に入れば核店舗を中心に全部のテナントを一望出来る。


三つ目の幾何学[立体サンクンガーデン+大屋根]、枠組みは[上階の店舗]
日本の再開発にはいい広場が無い。入り隅の広場を立体的に作り、大屋根をかけることで、二階から上にも路面点とは違った付加価値を与えることができる。(例えば‘バスケットコート広場’を囲んでスポーツブランドが周りを占拠するなど)
また離れたビル同士が特定のプログラムを持った広場を共有する事で、ショッピングセンターから外へモノや人を溢れさせる。


sports park ビルとビルの狭間が外部の主体のプラットフォームとなる。


四つ目の幾何学四つ目の幾何学は[空中公開空地]枠組みは[オフィス郡]
高度が上昇すると視界が開けてくるのでオフィス棟の足下に全面開口を持った贅沢な共用スペースを取る、いわば空中公開空地。郊外の水平な風景や多摩川を全面的に取り込む。
また、高層棟を離して建て、開口で仮想境界面を共有する事で再開発に全体性を確保する。三角形の平面は奥行きが浅く、開口の間口が大きく郊外の水平性と連続する。


sky public meeting space 離れたオフィス棟同士を郊外の風景と連続的にネットワークする。


plans overlay


botanical garden with fireworks


botanical garden


shopping mall


facade


10万字におよぶディベロッパーや専門家との対談集も制作しました。

この作品や自分の研究を通してhttp://d.hatena.ne.jp/sandotakuto/20090116等、様々な展開をしていこうと思います。



丁度一ヶ月前にRem Koolhaas率いるOMAの太田佳代子氏にg86の作品群を英語でプレゼンする機会があった。
そこで徹底的に質問をぶつけられ徹底的に返答をした。
しかし「あなたたちは都市の活動を建築的に捉えてはいるが、あるラインで止まっているのではないか。そこを突破し、ネクストレベルを見せてください。」と言われた。
リベンジを誓い、挑んだ卒業設計。
僕の作品はレムやスティージョブズらヒーローへの挑戦でもあったし、先に公開した鎌谷も情報やテクストそのものというとてつもないものへと戦いを挑んでいて、
坂根は僕とは全く別の次元で圧倒的な想像力を発揮しまくっていたし、小林は超絶的なオフィスワーカーとしてリアルなものを提案していた。
ここからさらにどこまで思考を先鋭化できるか。
卒業設計が終わってからようやく人生が始まる気がしています笑。
また粘り強く模型制作を手伝ってくれたヘルパー達には感謝しています。
主にいろんな大学のキャラの濃い3年生が駆けつけてくれたので、来年いかに展開されるのかはやくも楽しみです。




おまけ 鎌谷のLa Biblioteca de Babelに隣接するgoogle planning city。両者の対比が浮き彫りになった卒業設計でした。笑

wasedax

2009年はさっそく卒業設計をバリバリやっております。
今日は合間をぬって早稲田大学の文学部2年生相手に講義をしてきました。

ひょんなことから知り合った白水社の和久田さんにお誘いいただき
劇作家で客員教授宮沢章夫さんの「00年代都市空間論演習」という授業でテーマが“ショッピングセンター”で僕の論文のテーマがショッピングセンターだったので‘専門家’として呼んで頂く。
大学内ではただの四年でも外部に出ると専門家として扱われることにある種の社会性を感じる。

まず第一印象は、教室の雰囲気が、東工大よりカラフル爆。
みんなピンクの手帳とか使っていて、オーラというか風景の鮮度が高い。
そんな若い人たち
「郊外、虚構、戦略」という筋立てでショッピングセンターの考察をしているから、テンションがあがる。
彼ら彼女らは越谷レイクタウンのフィールドワークをしていて、僕の資料対象でもあったので、懐かしい風景が広がる。
発表は、ハードコアな分析があるわけではないけれど、動画を流しながらキーワードを与えて説明していてそれがなかなかおもしろかった。

paradoxical constructionという言葉で越谷レイクタウンを説明していて、客の誘導や自然光の取り方などのアーキテクチャの設計はうまくいっていて(リサーチでなくお客として行けば、ずっと居れるし、何度も買い物に行ってしまうだろうと本人達も述べていたし、僕もそうだと思う)いるが、そこにエコ戦略を重ねようといろいろな試みがなされているが、エコの部分がいまいち機能していない(虚構の隠蔽にはっと気付いて冷めてしまう)と指摘していた。僕が大江戸温泉がすきなのは、虚構を隠蔽するどころか完全なる演劇に持ち込んでいるので(全員が浴衣の着用を義務付けられる)、逆に心地が良いし、それ以上でもそれ以下でもない空間があるから。

宮沢さんは独特な語り口が非常にかっこよくてメモを取る手をとめて思わず聞き込んでしまう。「実際の都市にはメインの通りがあってその裏にサブの路地があって、そこで面白いことが起きているがショッピングセンターにはメインの通りしかない」と言っていた。ショッピングセンターが都市になれるかという問いに対する示唆を含んだ一つの答えだと思う。

僕が教壇で話した(相当新鮮)のは、大きい店舗と小さい店舗に関するレイアウトの基本的な話(二核モール型)と、社会学の文脈で出てくるショッピングセンターには立ち上がってしまう圧倒的な‘大きさ’の議論が抜け落ちているという話とそれがいろいろな不具合を引き起こしているということ、またそれにちなんだ論文をプロジェクションしながらショッピングセンターのネイチャーを解説。ヤンキーに絡まれた話をしたらウケて安心する爆。時間は短かったが宮沢さんもたくさんツッコミをくれて集中的にしゃべる。
寝ている学生が一人もいなかったことがおどろきで、
「私の地元におやまゆうえんハーヴェストウォークがあるんですけどどうでしたか?」とか「国道16号をヤンキーベルトと呼んでいたんですよー」とか「なんで建築なのにサブカルの研究してるんですかー?」と話かけられ、興味を持ってくれる人がいて嬉しむ。

その後は宮沢さんの別のサブカル講義を聞き、めちゃくちゃテンションあがる。
56年に生まれた宮沢さんの講義の中で、56年と76年に起きたいくつかの事象からある種の‘切断’があると述べられていて、凄く納得する。自分が86年生まれでg86の由来にも接続できる笑。

その後は研究室にて3時間ほど学生達や先生達とを交え話す。
みんな2年生で、しゃべることしゃべること。
以前女子高生にインタビューしたことがあったが、なんとなく似ていて
キーワードに反応するようにどんどん話が展開していって息継ぎを忘れるほどしゃべっていました笑。
キャピキャピしていて、東浩紀さんを「東様」と呼び、「思考」という言葉を使う彼ら彼女らの次世代のパワーを存分にもらいました笑

sayonara2008

こんばんは
2008年がもう終わりますな
自分にとっては今年は攻めの一年。

新年出る新建築1月号がもう置いてある店もあるようで報告なんですが
日新工業主催の地球学校という建築のコンペで
一等150万円(!)
とりました驚
巻頭に僕の作品やら審査員の講評が載ってるので建築の人もそうじゃない人もよかったら見てください
自分の思考が、自分の憧れの審査員、青木淳氏、妹島和世氏、藤本壮介氏、日本設計の六鹿正治氏、鹿島建設山本敏夫氏らに届いてコメントをフィードバックしてもらえるってのがコンペの一番おもしろいところですが
賞を取った瞬間にはもう自分にとっては過去の作品なので「いやいや今はもっと新しいことを考えてるんだ」とか言い返したいというか既に物足りないというか次は何をしようかと頭を悩ませてハラハラするわけです。
情報とか生態系とか複雑系の思考をもとに半年くらい試行錯誤して1000枚以上の写真を撮り、ファンタジーを偽装して馬鹿っぽく表現しました。
受賞式の模様等についてはまた書きます
2月くらいに建築会館で展示もされるので
見た方は是非批評してください

2008年を振り返ると
まず藤村龍至氏に声をかけてもらい
g86がround about journalに掲載されて且つ
live round about journalに出さしてもらったデビュー戦の1月に始まる。
あのイベントの記念すべき第一回に誘って出させていただいたことは今も自分のエンジンになっている。
ドミニクチェンさんとか建築家の中村拓志さんとかに激励されテンションあがる。
3月にはアーキサミットというイベントをg86とコジマラジオと一緒にやって
新聞にも載りテンションあがる。
どこに建築の可能性や隙があるのか時代の空気を掴んだ(気がした)。
藤村氏をゲストに招き、イベントのお礼をイベントで返すということが実現。

そして個人的に春休みにスコットランドにワークショップ参加。
2週間世界中のアートの人らに揉まれて
枠組みが揺さぶられ、自分が“日本人”であることを意識する。
特に百枝優と笹原晃平という激エフェクティブな日本人に出会えたことによりもっと考えなくては人を感動させることはできないと気付く。
こないだ作品集も発行され百枝優との共同制作も掲載しています。世界中のブリテッシュカウンシルで手に入ります笑。

そして塚本研所属。
20歳くらい年上の先生の方が自分より断然パワーがあるので
まだまだ動かないと土俵にすら立てないと気付く爆
大きなプロジェクトや院試で諸々洗礼を受ける。

5月にはg86で建築ジャーナルにインタビュー掲載される。
あと建築雑誌に福島の建築家佐藤敏広氏とg86の対談が掲載。

あとは仕事の合間を見つけてgraffiti projectionという作品を作りはじめ、超表層もフィールドにしようと意気込む。建築の議論にはまったく反応しない人もgraffiti projectionを見せると急に熱くなったりして建築の議論に引き込むことができる。使えるアウトプットの選択肢を増やすことの意味を再考する。

夏明けには10組くらいのアーティストを巻き込んで自由が丘ストリートエキシビジョンをやって
賛否両論頂くが建築や多分野の方から概ね好評価を頂く。
見ず知らずの女子高生に反応させることに成功し、これこそアーキテクチャの可能性の一つなんじゃないかと相当テンションあがる。
夏には近藤君たちによる5erというプレゼンイベントに出させていただき
ひとまずまとまりつつあった思考を話せたことは大きかった。
あとは建築会館の建築イベントにも出演。
丹下健三の息子である丹下憲孝氏と議論できたことが感慨深い。
9月にはLondon在住sawadaを誘いg86 Londonを始める。
g86の枠組みを世界に広めるべく開始。AAスクールも激烈忙殺らしく少しづつだがアウトプットしていけたらと思う。

その後の東工大の文化祭ではurban blastという作品をDj takmaxとやって「これは動的な絵画だ!」とかいってくそテンションあがる。
11月にはg86のあちゃーんが3大ビジネスコンテストで決勝まで進み
大ホールでプレゼンをした。
これには相当感銘を受けると同時に自分の思考が強張ってることに凹みもう一度エンジンをかける。

あとインタビューもいくつかやって個人的に興奮するのは
筑波批評社という批評集団。
これはいろんな人にコメントもらえたし、自分らの枠組みを再確認できたいい議論でした。
彼らの発行する筑波批評は文章相当カッコイイ笑

そして論文。
論文ではいろんな人に助けてもらいまたひとつ洗礼を受ける。
ショッピングセンター巡りは相当勉強になったので卒業設計に繋げたいが
藤村さんには論文と設計は切り離せと言われるが繋げたいが言われたいが繋げたいキガス。
論文提出後は11月くらいからkjと議論を続けていたアイデア
設計を始める。ジェネリックと情報とスピードにシナジーを与える建築。面白くなりそうだ。

こんだけ動いても知り合いにはもっと作りまくって建築の可能性を楽しんでる人がたくさんいる。
来年も飛ばして行きたい。

2009年は卒業設計という最高(最悪)のスタート。
気合入れて臨みます。

明日は年越し。ガキ使は録画して
お台場で高校の猛者達と世界を反転させます。

論文梗概提出完了!

昨日論文梗概提出完了しますた!
10日ぶりに家で寝ました。

提出前数日間は先輩方にだいぶ手を貸してもらい(徹夜までさせてしまた!)メイドイントーキョーのようなハードコアな図版と写真が並びインパクトのある梗概になりました笑。
今手伝ってもらった人を思い出していたらほぼ全員でした笑。
大変ありがとうございます。

テーマはずっとやりたかった
郊外大規模ショッピングセンターの構えにおける建築的特徴」です。

郊外大規模ショッピングセンターは壁面周長が1kmを超えるものもあって
とにかく巨大。
どれも一緒でしょと日本の建築界ではみんなが知らん振りするビルディングタイプであるけど個々を比べると現れが全然違う。100mぐらいのスロープがバンバン飛び出ているものとかは既存の建築言語では捉えられない。
ショッピングセンターの差異があるんじゃないかと東浩紀さんがいっていて
ようはその差異を商業論理とかじゃなく建築側の視点で分析し、導いたものです。
分析ともにこんなことをやったのは日本でこの論文がはじめてと思うとちょっとワクワクしますね。
次に出る日経ビジネスでも「イオンの誤算」という特集がある(うちは定期購読してるので今日とどいた笑)し、これから熱いテーマです。

都市を相手に自分の思考を重ねるのは
エッセイは簡単にかけるけど分析を伴った論文は書くのがすごく難しい。
けどエッセイと違って力強い思考が出来ますね。

こういう思考ははじめてで辛かったけど相当楽しかったので
いろいろ展開してみたいです。